アジルありがとう。

テナガザル担当:石田

本日 2019 年 10 月 16 日、アジルテナガザルのアジル ♀ が天国へ旅立ちました。

10 月 11 日から体調を崩しており、現場にて投薬治療をおこなってきました。

状態が改善しないため、今日の朝に麻酔をかけて病院へ連れていき検査をおこないました。
検査では重度の腎不全と診断されました。
原因は様々ですが、加齢によるものが大きいとされています。

そして検査後、麻酔から覚める途中で呼吸が停止してしまいました。
懸命の蘇生処置がおこなわれましたが、目覚めることはありませんでした。

彼女は最期、私に手を握られながら、新旧の担当者たちに見守られながら息を引き取りました。

正確な年齢は不明ですが、 1994年に大人として来園しているので、推定年齢は 30 歳を超えていたと思われます。

まさかこんな急に彼女との別れがくるとは想像もしていませんでした。
まだ信じられない気持ちでいっぱいです。

 

 

2014 年に日本モンキセンターに飼育員として入社した私は、 2015 年からテナガザルの担当になりました。

彼女の第一印象は
『クレイジーガール』でした。

元々ペットとして飼われていたこともあってか、急に機嫌が悪くなったりして、最初の頃はちょっと怖かったです。

ですが、彼女の性格は『男尊女卑』だったので、男である私にはすぐに慣れて触らせてくれるようになりました。
そして付き合いが長くなるにつれて、彼女が怒るポイント、喜ぶポイントとがわかるようになってきて、毎日彼女に会うのが楽しみになりました。
手の匂いを嗅ぐとめっちゃ怒りました。
お気に入りのブラシでブラッシングしてあげると上機嫌になり、無防備な姿をみせてくれました。

 

食べ物に関してはちょっと偏食家で、みんなが好きなイモとかより、葉物や柑橘類などサッパリしたものが好きでした。
あと、果物や野菜の皮が大嫌いで、薄いトマトの皮でさえも剥いて食べていました。

 

また、最初の印象とは違い、彼女はとても頭が良かったです。
基本的にサルの仲間はトイレを覚えないとされていますが、彼女は決まって排水溝のうえに排泄していました。
掃除の手間が省けてとても助かりました。

様々なトレーニングにも協力してくれて、最近では注射も打てるようになりました。

 

 

 

みなさまに印象深いのはシロテテナガザルの「キュータロウ」と過ごしている様子ではないでしょうか。

黒っぽいアジルと、白っぽいキュータロウ。
Twitter にも度々登場し、 JMC きっての名コンビとして知られ、スタッフからは『アジキュー』の愛称で親しまれてきました。

 

2017 年の夏にお互いにひとりぼっちで暮らしていたアジルとキュータロウは、ぼっち解消のために「異種ペア」になりました。変わり者同士、比較的最初から仲良くしてくれましたが、年月が経つにつれてき、少しずつ関係性が変わっていきました。

最近では

私を含め、こんな感じの関係性になっていました。

いつも楽しい掛け合いを私たちに見せてくれました。
今夜はキュータロウも寂しそうにすごしていました。

 

 

長々と書き綴りましたが、まだまだアジルとの思い出はたくさんあります。

ですが、これ以上はもう私の心が押しつぶされそうなので、またの機会にしたいと思います。

 

 

彼女の長い生涯のなかで、私が側にいた時間は、ごく短いものだったかもしれません。
ですが、私にとっては飼育員人生の大半を一緒にすごしてくれた大切な存在でした。

 

 

あの力強くて綺麗な歌声はもう聞けないんだね。
キュータロウとの楽しい掛け合いも、見れないんだね。
「撫でてくれー、遊んでくれー」って私のところに駆け寄って来てはくれないんだね。

 

悲しくて、悔しくて、申し訳なくて、頭がおかしくなりそうですが、最期の時を一緒に過ごせて良かったです。
ちゃんと乗り越えて、より一層の愛情をテナガザルたちに注いでいきたいと思います。

 

みなさまアジルを可愛がっていただきありがとうございました。

急な訃報となり申し訳ございません。

 

 

 

 

アジルごめんね。辛かったよね。
もっと早く気づいてあげれたらよかったね。

いままで本当にありがとう。

ゆっくり休んでください。

また一緒に遊ぼうね。

 

あなたの飼育担当になれて幸せでした。

明日は慰霊祭です。ギネへ。

元アフリカ館担当:辻内

 

明日は慰霊祭です。

毎年、創立記念日の1017日に、

モンキーセンターで亡くなった動物たちに今一度想いを馳せ冥福を祈る、動物慰霊祭がおこなわれます。

飼育員にとって、改めて自分の仕事、自分自身と向き合う機会となります。

 

今年の313日、ギニアヒヒのギネが天国へ旅立ちました。

国内最後のギニアヒヒでした。

 

私はギネを4年間担当しました。

ギネは最後の半年間を寝たきりで過ごしました。

彼の自由を奪ってしまったという懺悔を込めて。また、いちばん近くにいさせてもらった感謝と敬慕を込めて、

彼と過ごした日々を皆さまにお伝えさせていただきます。

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